龍江の名所・石碑を紹介

/龍江の名所・石碑を紹介
龍江の名所・石碑を紹介 2017-07-19T16:30:35+00:00

龍江の名勝/名所

龍角峯

全国的な景勝地である天龍峡には名勝が多い。
龍角峯もその一つで、高さ53mもの巨岩に字を彫った技術のむずかしさもあって、天龍峡十勝の第一に上げられ、対岸の川路側からの眺めは一見に価する。
日本的な書家日下部鳴鶴の書を彫ったもので、明治16年に完成した。
「むささびの飛び去るかなた龍角峯」
「龍角峯むかしの人の彫りあと」
「竜昇るすがたとどめた龍角峯」

 

水ぼれ岩

激流天竜川は川底の岩を浸食した跡を各所に残しており、ポットホール(甌穴)もその一つである。
龍角峯の上、弘法堂の所にある水ぼれ岩も、ポットホールである。
伊那谷はその後、地殻変動で隆起したので、大昔の川底がこんな高い場所にある。
水ぼれ岩のある弘法堂に祀られている弘法様のお祭りが、長らく途絶えていたが、平成13年に藤本さんの努力によって復活した。
なお、姑射橋の近くにある龍江の歌人吉澤武平の歌碑はじめ、水ぼれ岩の近くには文芸家で軍人・政治家の中原謹司頌徳碑、画家で俳句もよくした木下寒雲子の句碑、水野良哉のだるま絵碑などがある。
「水ぼれ岩龍角峯よりまだ上に」

 

今田平

日本三大桑園の一つで、名実ともに養蚕業を支えて来た龍江・竜丘・川路の天竜川両岸の桑畑も、度重なる洪水で荒れ、往時のおもかげはなくなっていた。
この耕地を元に復す「飯田市川路・龍江・竜丘地区治水対策事業」が当時の建設省(現国土交通省)・長野県らによって始められ、平成9年天竜川左岸(龍江側)の工事が完成した。こうして誕生したのが「今田平」である。
ここに盛った土は、番入寺の山から採り、工事のために作った運搬路を運ばれた。
でき上がった農地を活用して、「農業法人今田平」や菖浦園、水辺の楽校など、これからの発展が期待されている。
「日本三大農園すがた変え」
「番入寺の土今田平に盛り上げる」

 

龍江の石碑

南無阿弥陀仏の碑(紙屋の碑)

江戸時代後期の文化6年(1809)和紙製造に対する問屋からの口銭(今の税金の一種)を安くしてほしいと立ち上がった騒動を記念して建てられた碑である。
この騒動に加わった人たちは裁判にかけられ、代表9名が江戸で亡くなった。
このことがあった5年後に犠牲になった9名の名前を刻み、冥福を祈って「南無阿弥陀仏」の碑が建てられた。現在、丘の上に移されている。
なお、昭和19年には「至誠殉職者之碑」も造られ、山門左手にある。
「なむあみだ東照寺の丘に紙屋の碑」

招魂碑(しょうこんひ)

戦争のため尊い命をなくされた龍江地区の方々の冥福を祈るため昭和30年この碑が小学校校庭東側の高台に、関係者の奉仕作業によって建立された。
碑には日清・日露・太平洋の各戦争の殉国の犠牲者251名の氏名が刻まれており、毎年慰霊祭も続けられている。
「校庭の子らを見守る招魂碑」

南山の碑

やせ地の多かった泰阜・千代・龍江の当時36ヶ村の農民たちは、苛酷な年貢の取り立てに対し決起した。安政6年(1859)12月のことである。
この一揆は農民側の勝訴に終わり、一人の犠牲者も出さずに全国的にも注目されている。
この騒動から33年後の明治25年、このでき事を後世に伝える目的で、この碑が建てられた。
この碑石の下部にはこの騒動に加わった人たちの名前が刻まれている。
「先人の偉大なあしあと南山碑」