龍江の旧跡を紹介

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龍江の旧跡を紹介 2017-07-19T17:42:18+00:00

龍江の旧跡

二子陣屋跡(ふたごじんやあと)

ふたごの薮で旧県道が上城への道と船渡への道に分かれる所に札所があったと記録に残っている。
札所とは幕府や藩からからの通知を住民に知らせるため、掲示板を立てた場所で、人が多く通る所に設けられていた。
ここに代官滝十右衛門の陣屋があったとも伝えられている。
道を沢に下るところに「観世音」と刻み込まれた大きな自然石がある。
「二子には代官様の陣屋跡」

兎城跡(とじょうあと)

知久氏の神峰城の出城として15世紀後半頃築かれた桃井氏の居城であったが、武田氏によって滅ぼされ、以降再興されることはなかった。
主部と曲輪・堀・土塁を有する在地領主の城で、現在も当時の堀の跡や土塁が残っている。
この城跡には「外堀跡」をはじめ、いくつもの碑石が建てられている。
「天竜の青嵐に立つ兎城跡」
「苔むした土塁の厚み兎城跡」

ハンバ古墳

龍江地区には計10基の古墳が調査されているが、これもその一つである。
小学校西北西100mの県道飯田・米川線下の台地にある円墳である。
明治12・3年頃発掘調査されたと村史にも明記されている。
今も高さ1.5mの墳丘を残しており、天井石と考えられる大石などがあり、横穴石室が存在していたことがうかがわれる

四鬼峠の石仏群

羽入田と芦ノ口から安戸へ通ずる峠が四鬼峠(斧峠とも書く)で、ここに中原地区の治部右衛門が元禄5年に勧請した善光寺如来が岩屋の中に安置してある。
この峠と峠に至る道筋には、民間信仰の石仏が50体以上も所狭しと祀られており、壮観である。
道が細く、足場も悪いのでマップのコースには組み入れなかったが、一見に価する。
「四鬼の道信仰こもる石仏群」
「四鬼山はむかしも今も月さやか」

文吾岩

尾科の諏訪神社の入口に当たるイタチガ沢の川辺にある。龍江の民話で名高い力持ちの文吾が、山の中腹から飛び下りた時、岩がへこんでついたという文吾の足跡ときんたまの跡がついた大岩で「金玉岩」と呼び伝えられている。
このへこみにたまった水が皮膚病によく効くとも言い伝えられている。
近くにある文吾の生まれた高橋家の墓地には、文吾のお墓があり「尾科長常高橋豊後守」と彫られている。
「文吾岩丘に上って河鹿聞く」
「伝説の尾科の文吾今も生き」