龍江の神社を紹介

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龍江の神社を紹介 2017-07-18T14:12:33+00:00

龍江の神社

春日神社(かすがじんじゃ)

古い記録によると兎城に居を構えていた桃井氏の氏神であった。
昭和19年に村社に昇格し、1区の氏神となった。
祭神は建御賀豆知命はじめ4神である。
境内に明治27年に建てられた滝氏の頒徳碑がある。また、かつて農家の副業として盛んであった紙漉き(和紙製造)が、機械漉き和紙に押されて、その歴史を閉じることになったを記念した「和紙の里」の碑が建てられている。
「春日社に大井の恩人滝氏の碑」
「春日社に石碑大きく和紙の里」

子の神神社(ねのかみじんじゃ)

北方の守りを司る神であったが、大山祇神も祀られており、五穀豊穣、収穫感謝、家内安全、邪気退散などを祈る神社でもある。
もともとは、根の国(人間に害を及ぼす邪悪なものが住むところ)に発想のもとがあるが、明治6年に筑摩県に出した届書から「子の神」となったと村史に記されている。
現在羽入田地区全域で10月下旬にお祭りを続けている。
「子の神は羽入田平のご守護神」

大宮八幡宮(おおみやはちまんぐう)

祭神は八幡社にふさわしく譽田別命・熊野加牟呂命・建御名方命の三神である。天文5年(1536)に今田の守護今田太郎藤原頼茂が神々を迎えて祭ったものと伝えられている。
江戸時代中期の宝永の頃から、境内で操人形が奉納されるようになった。現在の今田人形浄瑠璃の始まりである。
昭和19年、春日神社が村社に昇格し、1区の氏神になるまで1区と2区の氏神であった。
「八幡宮祭りの庭のでこんぼう」

神明社(しんめいしゃ)

祭神は天照皇大神・譽田別命・天児屋根命である。
いつの頃の創建かはっきりした記録はないが、元禄初期の文書があるからそれ以前と考えられる。
かつては7900m²(2400坪)余の境内を有していたが明治初年縮小させられた。
明治5年政府の学制領布に基づいて、明治6年に今田下組(3区)と中組(2区)の羽入田、細田、一本木とで境内の舞台を校舎にして学校とした。これが明々小校で現在の小学校の前身の一つである。
なお、この舞台は本格的な奈落を持つ回り舞台で保存が望まれている。
近年、早乙女による田植えと抜穂祭の伝統神事を古式にのっとって復活させ、内外から注目されている。
「神明社回り舞台がひっそりと」
「老杉をめぐる玉垣神明社」

諏訪神社(すわじんじゃ)

祭神は建御名方命・八坂刀売命で元仁元年(1224)か文明18年(1486)かにこの地に迎えたと伝えられている。
明治5年から今も寅・申の年に御柱祭りが行われている。
境内にはかつて盛んに行われた地芝居の舞台が、当時のまま残っている。
なお、4区にはこの神社と高森山頂上の浅間神社の他に、次のようないくつもの神社がある。和世田社(宮沢)八幡社(尾林)八王子社(安戸)白山社(石林)富士浅間社(大屋敷)。
「昔なじみがそろう尾科の御柱」