龍江の未来を切り拓く「Professional (プロフェッショナル)」を独断と偏見、自由奔放、縦横無尽に訪ねる企画。
第3回目は森田和市さん。シャルルヴィルメジェール通り・八重桜街道をはじめ数多くの桜の名所づくりに尽力されている日本を代表する桜守。長年の功績が評価され、映画「北の桜守」では吉永小百合さんに技術指導するなど、桜への熱心さが注目されています。これまでメディアのインタビューや取材では明かされていない桜に対するまっすぐな思いをお聞きしました。

いわゆる琴線に触れるっていうのかな

-桜に携わるようになったのはいつからですか。
森田 龍江に来て43年くらいになるのかな。それより前かな。飯田の市内の生まれだもんで。それまでは龍江っていうとこは全く縁がなくて知らなんだな。静かでいいなってことでここで土地を買って家を建てたんだな。それまでは酒も飲まない男だったんだけれど、酒くらいのめにゃ仲間にしてやらんぞって言われて飲まされるようになって、今じゃなしじゃおれんくなっちゃった。

-桜に携わるきっかけはなんだったんですか?
森田 ちょうど仕事で飯島町の七久保というところを通った時に一本の桜があって、桜が私に呼びかけたのか、ちょっと高齢化した「関山」っていう桜なんだけどね。ちょうど5月1日って今でも日まで覚えとるんだけど、仕事で七久保のあたりを通っとると通ったらちょうど桜が咲いとってな。南アルプスの雪とそれから紅い桜が揺れとるところがいわゆる琴線に触れるっていうのかな、ズキーッンと来ちゃったのかな。こんな桜があるのか、こういう桜のことを知りたいなっていうところから始まって行ったんだな。全くの素人から始めたことだもんで、例えば植物の学問を勉強したとかね、そういうのじゃなくて、全くの突然変異だからね(笑)。

-独学で勉強されたんですか?
森田 そうだね、誰も教えてくれる人がおらんくて、今でこそ本でも何でも色々出とるけど、50年前は桜の本なんて出てなかったもんでね。最初、何から勉強していいか、図書館へ行ったって桜のことなんてないし、百科事典に桜のことがちょこっとでとるくらいでな。24冊あった中の百科事典のうち、桜の項が書いてある1冊だけ残してあるんだよ。桜のとこだけは捨てちゃうわけにはいかんもんで。これで初めて桜の絵ってのを見て桜の文化ってのにまで及んで書いてあるけど、わずかしか書いてないでね。

-桜の情報って当時はほとんどなかったんですね。
森田 そうなんだよ、昭和45年4月17日に初めて桜の本を買ってきて、やっと桜の専門家がおるんだって知ってね。それをきっかけに京都で有名な先生を知って、万博の帰りに悪友3人で先生のところに寄ってな。偉い先生なんだけど、コンタクトも取らずに行ってみたらちょうど家におったんだよ。30歳代の坊主が行ったもんで、何事かと思われて。だいたいね、桜に関心を持つのは60歳過ぎなんだけどね。びっくりしただろうけど、色々教えてくれて。この先生を訪ねたのには目的があったんだよ。昭和39年に発行された「桜花抄」っていう豪華本があるんだけど、限定1000部だけの本で、この本を買いたくてね。私が行った時にはもうないよと言われたんだ。「もうありまへんのですわ~」って言われたけど、わざわざ行ったんだから粘って粘って2 ~3時間粘って。最初は試してたんだろうな、この若造が本当にやる気あるのかって。一生懸命粘ったらやっとこ、「あきまへんのだけど」ってデカい本をやっともらうことができた。見て覚える、見て覚えるでね、本の中は絵で描いてあってね。これが粘り勝ちした本だよ。


森田 カラーは1ページか2ページだけでカラーのところはほとんどないし、カラー写真も2枚しかないし、あとは白黒だでね。この本が手に入って、桜のことがある程度わかるようになった。でも、絵描きが描いたもんでちょっと日本画的なんだよな。

人生は出会いと運だね、出会いをどう生かすか

森田 いろんな運の良さがあって今があるんだけど、人生は出会いと運だね、出会いをどう生かすかっていうか。桜と出会った時もただ綺麗だなってだけじゃ、それだけで済んじゃうじゃん。だからそっから追究していくっていう偶然といえば偶然。ともかく運がいいんですよ、この先生に出会ったのも運がいいし、次から次へと先生たちに会うんですけれど、女房に会えたのもそうだし。今になれば笑い話だけれど、苦労をかけちゃったな、よく我慢してたね。豊田に夜中の12時頃出かけて行ったり、これから京都へ行くぞって行ったり、ありたっけ銭よこせって10円玉かき集めて全部持って京都に飛んでいっちゃうんだもん、悪い男ですよ、今だったら放り出される(笑)。

-今までに植えられた桜で思い出に残っているものはありますか。
森田 南信州の花の会の会長をずっとやってきたんだけど、その組織で植栽活動と古木の手入れを主にやっているんだけど、花の会の植栽活動で一番最初に植えたのが三日市場の運動公園。あそこの子供プールの横の斜面と球場の横の大きな斜面があるんだけど結構たくさん植えたなぁ。阿南町や高森町にも植えたなぁ。私は苗を提供して、地域の人がほんと一生懸命になってやってくれるんだよね。

地元へ残す大事な桜並木になった

-桜街道の思い出はいかがですか。
森田 桜街道も20年前になるけれど、ちょうど私が退職する前の年くらいに始まってな。どういう桜がいいかってなった時に、ソメイヨシノの並木なんて日本中いっぱいあるもんで八重桜の並木ってね少ないから、こういうのをやろうかって植えたの。最初は非難されたんだに。今でこそみんな受け入れてくれとるけど。3、4年生の苗木を植えたんだけど、龍江の人に「こんなもん植えて」って言われたんだに。最初植えた時は3mくらいの木で最初はちょっとしか咲かんもんでね。ソメイヨシノが良かったっていう人が多かった。今は植栽20年越えたでね、私としてはこれが地元へ残す大事な桜並木になった。いいなあっていう桜はどうしても増やしたい、残したい。

-森田先生の桜が品種登録されたのですよね。
森田 去年の6月18日、私の80歳の誕生日に認定されたのが「思伊出桜」。今まで苗木を育ててきて、配ってあげた人から綺麗な桜だし、珍しい桜だで東京の先生に言って、品種登録した方がいいらっていうもんでな。遠くは四国へも送って、みんないい桜だ「森田桜」だって喜んでくれて、この桜をみるとみんな綺麗だねって言ってくれるんだ。この思伊出桜の元は思川っていう桜があるのこれは茨城県と群馬県の境にある川のそばで見つかったんで思川っていう桜なんだけど、たまたまその種を公園で20粒ほどとって蒔いたらこれが出たの。その種からいいものが生まれる確率は一万分の1とか言われるんだけど、偶然20粒蒔いた中からこれが生まれたもんで、運としか言いようがないよな。伊那谷から出たとそういう思いを込めて「伊」をつけて「思伊出桜」って命名したんだ。

森田和市さんご自宅の「思伊出桜」の原木。

一本ずつにみんな個性があってその個性を楽しむ

-お気に入りの桜はなんですか。
森田 金沢の兼六園に三大桜っていう有名な桜があるの兼六園菊桜、兼六園福桜、兼六園熊谷桜の3つの桜があるの。前田家のお宝って言って江戸時代からあるそうで、そのうちの兼六園熊谷桜ってのが私が見たら気に入っちゃって、それからこれを残したいなって。これはちょっと上品な桜でね。これを一生懸命増やそうと、今年も接木をして、将来的には龍江の熊谷さんへ一本ずつ配ろうとね、今までに5本あげたとこだなぁ。そのね、ピンク色がちょうどいいんな。この思伊出桜もそうなんだけど、ピンクがあまり濃すぎずに、関山ほど濃くないくらいのピンク色が好きなんだよね。白、黄色、緑色々あるけれどやっぱり子供が絵を描くと桜はピンクで描くじゃん、みんな桜はピンクだっていう頭があるんだよ。桜色っていうくらいでねチェリーピンクっていう薄いピンクなんだよね。そこが私は魅力を感じているんで、これからは思伊出桜と兼六園熊谷桜を残していきたい。古木もそうだけど、みんな個性があるの。品種もそうなんだけど、一本ずつにみんな個性があってその個性を楽しむっていうね。いろんなところへ目が向いちゃうの。そこがちょっと変態なんだけどね。桜をみるとなんでもいいものだと欲しくなるの。珍しいものがあると残したいと思っているの。

兼六園熊谷桜の苗木を見守る森田和市さん

 

 

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龍江の未来を切り拓くProfessional#2     前澤隆志さん