8月31日に兎城公園で「第12回武田信玄狼煙リレー」が行われました。

狼煙(のろし)とは・・・Wikipediaによると、

狼煙(のろし)とは、物を焼くことで煙を上げ、それを離れたところから確認することによって、情報を伝達する手段である。夜間など煙が見えない場合は、火そのものも使われる。

インターネットや電話のない時代、情報の伝達手段として、言葉での伝達はもちろん飛脚や馬を使って手紙を送っていた時代、武田信玄は狼煙を使って情報を伝達していたそう。

朝から公民館や地域づくりの役員によって狼煙旗や狼煙の準備が行われました。

10時頃から塩澤館長に皆にこのイベントの説明をしていただきました。

このイベントは当時の情報伝達を現代に再現しようと伊那谷から諏訪へ、そして甲斐へ『武田信玄の狼煙』を繋げて行こうと年々輪が広がっているそうです。

2021年夏には武田信玄生誕500周年を記念して長野県内、山梨県内をつなぐ「信玄狼煙リレー」を盛大に行うプロジェクトも進んでいるんだとか。

県をまたいで、多くの市町村が繋がり、さらには時代を越えて繋がる狼煙リレーってロマンがありますね。

続いて、龍江の歴史研究家である吉澤健先生から武田信玄の狼煙についての説明をしていただきました。

予定の10時過ぎ、天竜川対岸の山城跡から上がる狼煙を皆で探します。

当時、狼煙を上げるのに予定時刻ってなかったはずですから、そろそろ狼煙が上がるはずだと待つのはちょっと変な感じですね。

そろそろかな〜って待っていると、山頂から一気に狼煙が上がりました。

三穂の水晶山、山本の城山、遠くには下條の極楽峠から狼煙が上がります。

風がないので狼煙がはっきりと見えました。

こちらも急いで焚き付けに火をつけました。

バチバチ音を立てて一気に燃え上がりました。

「こんな感じで狼煙を上げていたのか〜」「ちゃんと次の所へ伝わるかな」など、それぞれ武田信玄の狼煙に思いを馳せて見ました。

 

最後に吉澤健先生から武田信玄の狼煙についての宿題です。

1.狼煙を上げた時間帯は昼間だけだったのだろうか?敵の情報を伝達するのは昼に限ったことではなくて、きっと夜も狼煙を上げることがあったはず。でも夜って煙の色って見えにくいけれど、どんな色の狼煙だったら見えたのでしょうか。

理科の周期表を思い出しもらうとどの元素が何色に燃えるのかということを学んだことがあると思います。

例えば、硫黄は青色、銅は青緑色など。

2.夜に上げる狼煙(烽煙)はどんな色を使うか一覧表があったのではないだろうか?

武田信玄は昼間は狼煙、夜は烽煙(信玄烽)を使っていたそう。さらに12色を使い分けてメッセージを伝えていたという言い伝えも。

3.狼煙のスピードってどのくらいだったのだろう?

根羽村から甲府まで中央道を通って行った場合、google mapで調べると、約185km、所要時間2時間23分だそう。

ちなみに平均時速は約 78km。これに比べて狼煙の伝達速度ってどうだったのでしょうか。想像してみてください。

4.狼煙って誰が上げていただんだろう?

狼煙って色々な戦略や意味を持って上げていたはず。きっと各地のお百姓さんが上げていたんではなくて、狼煙の専門家がいたのでは?武田信玄が先遣隊として狼煙の専門家を各地に派遣していたのでは?

 

ぜひ戦国時代に思いを馳せ、考えてみましょう。